楼閣


些細な日記とオリジナルの和風ホラー小説の公開
by doitou
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリ
リンク
以前の記事

<   2005年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

さっそく

日記をサボる自分。
[PR]
by doitou | 2005-11-23 00:26 | 日記

うーん

どういう風に設定すれば、綺麗に読めるのかなあ上から綺麗にしたいのにorz

左側のメニューでぽちぽち読んで下さると嬉しいです。
[PR]
by doitou | 2005-11-20 21:43 | 日記

神様

僕じゃなく廻りが狂っているのだと、思いたくて仕方が無かった。
今、僕が手にしているゲームのコントローラー、そしてその先に広がる世界は『Makeing・Wrod』という世界創作ゲームだ。
このゲームはプレイヤー、つまり僕が神様になって1つの世界に色々な環境や動植物、機械、病原菌を入れて世界を作る、育成系ゲームと呼ばれるものだが、ゲームバランスが悪くて、人間ばかりの社会が出来上がりやすい、いわば『クソゲー』である。
僕の作りたい世界はこんな世界じゃない、僕が僕であるための世界、僕ではなく、僕の周りが狂うのでもなく、僕だけが、住み心地の良い世界……。
「良樹、ねえ、そろそろ学校へ、ね?」
(うるさいなあ)
母親とか言うものが遠慮がちに僕の殻をノックするが、そんな事ではこの殻を打ち砕くのは不可能だ。僕は知っている、この母親という生物は……僕が望めば何でもいう事を聞き、殴ろうが蹴ろうが文句を言わないそれなりに『出来た』生物であると。
しかし、そんな事より僕はこの世界創造を急がねば成らない。
この世界を、より良い方向へ導いて行けるのは僕だけなのだから……。
(くそ、また人間社会だ……しかも、下種な奴等ばかり、リセットだリセット!)
日の入らず、カーテンを閉め切った殻の中で僕はリセットボタンに手を伸ばす。途中で僕の手がカップ麺を薙ぎ倒したけど、知るものか。
ブツっといやな音を立てて画面が黒くなった一瞬後、起動音とともにディスクの読み込みが始まる。ぼわ、ぼわっという妙な選択音を響かせながら、『初めから遊ぶ』を選択しボタンを押す。
ぴょろーん
間抜けな音もこのゲームを『クソゲー』に貶めている理由だろう。
初めの説明を読み飛ばし一旦セーブ『このデーターに上書きしますか?』『はい』
ぴりょりーん
これでポリゴンの人間達はあっさり消え去ってくれる筈だった。
「酷いじゃない」
「?」
誰の声だ?妙に甲高い、学校の女どもよりは幾分年上そうだが、それでも若い声だ。
テレビのタレントのような聞きやすい声ではなく、感情のままにまくし立てた声は、テレビのスピーカーから流れ出ていた。
(まさか……)
「作っといて勝手に消すなんて、酷いって言ってるの!」
(誰だよ?)
僕は狂っていない、狂っていない、狂っていない。ディスプレイに浮かぶのはポリゴンの女ではなく、どこか生身を髣髴とさせる、局面がずいぶん丸い女が……。
「ちょっと、聞いてるの?ああんもう!こんなのが『神様』だなんて!あたしたちの事なんだと思ってるのよ!」
「うるさい!」
「っきゃ!」
女の甲高い声に切れて、電源を引き抜くと僕はそのまま布団へ潜り込んだ。
嫌だ嫌だ嫌だ!僕が狂ってるんじゃない、僕は正常だ、僕はまともだ、狂っているのは………。
僕以外の全てだ。
ヴゥイン
この音には聞き覚えがある。いつまで布団をかぶっていたのか知らないが、僕が目を開くと、予想通りテレビの電源が入っていた。
これは廻りが狂ってるからだ、僕以外の環境が僕を取り巻く環境が狂っているから勝手にテレビが付くのだ、そうに違いない!
僕は掛け布団から出した目玉を背けようと首をひねった。しかしテレビは一向に僕の視界から出て行ってくれない。
動かない、恐怖?興味?いや、狂っている廻りがそうさせるのだ。
ぼわ、ぼわ
選択音が響く、画面には『Makeing・Wrod』のタイトルロゴが誇らしげに光りはじめた。
ぴょりりーん
おかしいぞ
この音は
『ロード』音だ!
まだあのデーターには上書き保存をしたばかりだから、空白のデーターが、世界の名前も決まっていない、初期配置も終わっていない空っぽのデーターがあるだけだ!
「んも~!神のやついきなり電ブチなんてやるー?マジ最低!」
あの声だ!
女の甲高い、耳障りな声だ!こんなシステムは知らない、僕に知らせないこの廻りが狂っているのだ!そうに違いない!
「ちょっとー、そこでぼーっと見てないでよ!神、聞いてるの?」
女は相変わらず甲高い声で僕に食って掛かり、胸倉をつかまんばかりだ。
胸倉?
テレビから布団はそこまで離れていないが、女の指が見える。
太くて無骨な指、とても女とは思えぬそれが、丸太のような手首につながり、その先に厚い肩が見えた。
「きーてんのー?」
ぶくぶく太ったメス豚が、僕の頭をがくがく揺さぶってくる、息がくさい、駄目だ駄目だ駄目だ、こんなのばかりできてしまうから、このゲームは『クソゲー』なのだ。
僕は神なんだ。
だから、要らない人類は『粛清』しなければならない。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ」
「うるさいなぁ、豚がキャーとか言うなよ」
そばにあった大き目のハサミで喉を突くと、醜い黒髪のメス豚は血を流して僕の部屋の床に転がった。なんだ、簡単だな、だって僕は

なんだもの
ドンドンドン
「良樹、どうしたの、ねえ?何の声?」
メス豚の声を聞きつけたのか、母親という生物が僕の殻を叩く。うるさいなあ、お前の声も耳障りだよ。
ドンドンドン
あまりのノック音に辟易して、メス豚を蹴飛ばして端に寄せると理由だけを簡単に説明する。
「ゲームから出てきた奴を消しただけだよ」
「え?ちょっと良樹……?」
僕の殻が開く。なんだよ、入ってくるなよ、お前みたいな愚民に理由を言ってやってだけありがたいと思えばいいのに!しかもまた「あの女」だ。
素直に消えてれば良いものを……。
「もうリセットだって言ってんだよ」
「良樹、何のこと?きゃああああああああああああああ!」
これでリセット、あーあー、又死んだよ、簡単だな。
ぽたぽたと大きなハサミから滴るしずくは生暖かくて気持ち悪い。久しぶりにシャワーでもあびようかな?
神が不潔じゃ、示しがつかないからな。


ブチ


突然、僕の意識は途切れた。


「どうだー?良子。息子育成ゲームは楽しいか?」
「あなた、これ条件厳しすぎるわ、すぐに引きこもりから殺人者ルートに行っちゃうのよ」
「おっかしなぁ、フラグが立ってないのか?子供の星座変えてやってみるか?」
「そうねぇ、出来れば弁護士ルートがいいんだけど、あ、いっけない、それより夕飯作らなきゃ!」


子供ができない妻に、成長タイプの自律思考式アンドロイドでも買ってやろうと思ったのだが、いかんせん俺の給料では育成ゲームが精一杯だ。これだって夫婦二人の遺伝情報の処理とリアルなグラフィックの兼ね合いで、結構な値段になってしまう。
やれやれ、どうせなら「息子:良樹」でなく「娘:直子」を育てて欲しいものだ。女親はやはり男の子の方が可愛いものだろうか?
俺は夕飯を待つ間、自分のパソコンの電源を入れた。
娘の直子は、今14歳。多感な時期を友人達と健やかに過ごしている。やはりこういうゲームは男の方が得意なのだろう。良子もいい加減諦めて、生年月日を変えるか、画数判断で数値も違うのだから名前を変えてチャレンジしてみればいいのに、良樹にこだわる。
おそらく、また最初の説明を飛ばして保存しておいた初期データーから始めるのだろう。成長したら見せてもらおう。早く良いのが出来てくれないと、俺の自慢の娘を自慢できないのだけが、目下夫婦間の不満ごとである。

「あなたー、お皿並べてちょうだい~」
「ああ、今行く」
[PR]
by doitou | 2005-11-20 21:33 | 小説:短編

短編

『ねえ、知ってる?あの家さぁ・・・。』
『知ってる、怖いよね~。』
『でもさ、生き残った子供、いたんでしょ?』
『引っ越しちゃったって、そりゃそうよね。』
『そうなんだ、やっぱりね。』

ひそひそひそひそ

子供だった相生翔にも、その声は届いていた。その声は親戚の家へ向かう為の列車に乗り込んでも、それが発車しても、新しい人生が幕を開けるまで、その声達は翔を離してはくれなかった。
プアーン
トンネルを抜ければ、そこから新しい人生が始まる。

「翔ちゃーん、ねえ、かけるってば!」
「へ?」
「へ?じゃないわよ、さっきの講義ノートとった?」
「あ、うん、一応」
「サンキュー借りてくね」
「あ、ちょっと美紀!・・・ん、もう」

相生翔(あいおいかける)は親戚の家に預けられ数年経ち、一人暮らしをしながら大学へ通うようになった。そこそこの友人関係と大学の講義にコンパ、週に四日バイトをして一人暮らしの家に帰る。
平均的で少し気弱な女子大生、どこにでもいる女性…。翔自身は、友人達に少々利用されようが、平凡で穏やか、生真面目に生きる事に何ら不満はない。そう、平凡が一番だ、もう子供の頃のような思いは味わいたくはないのだから。
一般的なファッション、そこそこの容姿、少し猫背だが背筋を伸ばせばそこそこ胸が目立つ、彼氏は今のところ無し。
今日も彼女は昼休みに平凡に食堂へ向かう。一人だけの弁当を作るのは面倒だから、そんな「平凡」な理由で…。

「相生」
「へ?」
「落とした」
「ああ……」

昼食の為に食堂へ向かう途中、翔は男子学生に声をかけられた。振り向くと、一人の男が、面倒そうに小さ目のペンケースを放り投げた。

「ありがとう、坂下くん」
「いや」

眼鏡をかけ直す仕草をしながら翔の横をすり抜けたのは、坂下聡史(さかしたさとし)。学部内の変わり者だ。顔は良いが、コンパに誘っても来ない、バイトもしているのかどうか・・・・。成績は良いらしいが友人関係は希薄で一匹狼、根暗なのかも知れないが、気安く話すことさえまれな彼は、平凡な人生を望む翔と、この先接点があるとはとても思えない人物である。
そして、彼の人物像は全て聞きかじりであり、翔自身も聡史に興味などなかった。

「じゃあ、今からお昼なんで……」
「ああ」

踵を返す聡史を見送るでもなく、食堂の隅へ隅へ避けながら昼食をとることにした。
(おなかすいたな…)
朝から続く空腹感に限界を感じ、ついセットメニューを頼んだ後、ウエストを触りながら後悔した。
昨日もコンパで少し飲んだのだ、控えるべきだったかもしれない。
半分まで食べ終わり、ふと顔を上げると美紀が手を振りながら近づいてくる。なにやらにやにやと笑い、翔の目の前の席に座ると、待ち切れないとばかりに口を開く。

「かける~、さっき坂下となに話してたのよ?」
「別に、ペンケース拾ってくれたの」
「え~?そんだけ?昨今少女漫画でもないよそんなの」
「別に、私、坂下君に興味ないし・・・。」
「ま、坂下ってさー、彼氏ってタイプじゃないよね、旦那はまあ良さそうかな~?あ~でもなあ出世して仕事バリバリってタイプでもなさそーだし、9時5時でそれなりに誠意尽くしてくれそうなタイプ?」
「美紀、坂下君のこと狙ってるの?」
「あたし?まっさかぁ!だって全っ然楽しくなさそうじゃん?ああいう人って何が楽しくて生きてんだろーね?」
「そこまで言わなくても・・・。」
「あ、そういえばさー知ってる?」
「な、何を?」

急激なフラッシュバックが襲う。

『ねえ、知ってる?あの家さぁ・・・』
『知ってる、怖いよね~』

ふらふらと頭が揺れる。ここが食堂で、自分が座っていた良かった……。今の状態は何処で倒れてもおかしくは無い、片手を突いて頭を支えるが、美紀の明るい顔のままで、ぴんと人差し指を立て、翔の耳元に口を寄せる。

「坂下ってさー、どっかの旧家のお坊ちゃまって噂、金あるなら多少つまんなくてもいいかな?」
「へー、お坊ちゃま……まあ、美紀は綺麗だから、オッケーするんじゃない?」
「でしょ?ねえ、賭けしようか?」
「へ?」
「1ヶ月であたしが坂下を落としたら、翔のおごりで飲み」
「落とせなかったら?」
「あたしがおごる…どお?」
「…おっけー」

フラッシュバックはどこかへ消えていった。苦笑交じりに笑いながら翔は美紀の自慢話に付き合う。自分はこういう役回りなのだ、よく色々な『自称友達』の自慢めいた愚痴や愚痴の皮をかぶった自慢を聞かされる。
そして内心ほくそえむ自分を、少し性格が悪いとも思っていた。
美紀は確かにそこそこ綺麗だが、自称友達の中で一番の美人、こずえが先日聡史にふられた『愚痴』を聞いたばかりである。
(こずえと美紀じゃあ、明らかにレベルが違う・・・。)
しかし、性格的に似たタイプの二人であるから、性格面で聡史が美紀になびくとは思えず、この勝負、最初から翔には結果が見えていた。
(ごめんね美紀、奢りは居酒屋で勘弁しておいてあげるから)
心の中で舌を出し、笑顔で自慢を聞きつづける翔、そこには普通の大学生が居るだけだった。

「相生」
「あ、坂下君…。」

美紀が次の講義をさぼると言い出し、翔は教室に一人で向かう途中、先程までの噂話の人物に声をかけられた。
(坂下君?まだ何か?)

「お前さ、昔田舎で……」
「え!?」

ドクン
ドクン
ドクン
(何を知っているの?)
『ねえ、知ってる?あの家さぁ…』
『知ってる、怖いよね~』
『でもさ、生き残った子供、いたんでしょ?』
『引っ越しちゃったって、そりゃそうよね』
『そうなんだ、やっぱりね
「…あ、やっぱりいい」
「待って!」
(何を?私はもう平凡な人生を歩むって決めたのよ!)
「田舎が、どう…したの?」
「いや……いいよ、俺の勘違いだ」
(まって!)
「そんなぁ、途中で止めたら気になるよ、坂下君、お願い、何?」
「…相生の田舎ってY県?」
「うん、ねえ、そんな小出しにしないで」

止まらなかった。翔は絶対に聞きたくないと思っていたはずだというのに、聡史が何かを知っている、そう思うと翔はいつに無く饒舌になり、大人しい気弱な女子大生ではなく、必死に取りすがる。そんな翔に聡史の方は微かに動揺していた。気弱で下を向いてばかりだが、柔らかそうな微笑が魅力的な女性だとばかり思っていたのだ。

「相生?」
「あ、ごめんなさい…田舎で少し嫌な事が…あって、知られてるの……いやなの」
「ああ…」

納得した、とばかりに頷いて聡史は笑った。
翔は今まで見たことが無かったが、綺麗な顔が笑顔になる瞬間はとても美しく、不安だったフラッシュバックもまったく起こらない。

「違うよ、俺の田舎で似た人を見たことあったから、ひょっとして相生じゃないかと思っただけ、それだけ」
「そうなんだ…あ、ひょっとして山の麓にあった、おっきい家?」
「そう、それ!やっぱり相生だったんだ、あの女の子」
「うん、気づいたら言ってくれたら良かったのに」
「そうだな…いや、なんとなく、声がかけられなくて、俺、夏休みしかあそこ行かなかったから…いつからか見なくなって、引っ越したんだろうなーって」
「うん、高校にあがる少し前にね」
(なんだ…)

ほうっと盛大に息を吐き、翔は胸を撫で下ろした。確かに田舎には大きな家があった。地主か何かだろう、広い敷地に何人もの人が犇いて、子供心にわくわくしたものだ。
(そういえば…坂下君笑うと子供っぽくてかわいいのね)
目の前で田舎話に花を咲かせる聡史は、普段の変わり者の噂はどこへやら、気さくで少し子供のような雰囲気へ変わっていた。普段からこの調子であれば、友達も増えるだろうに、しかしバイトをしていないのは納得できた。家が裕福であれば一々そんな事をする必要もない。

「そういえば、相生が引っ越した年って変な事件あったんだってね」
「そうなのよ……」
(田舎だったら、噂に上るのも早い)
「あ、ごめん、思い出したくなかった?」
「ううん、ねえ坂下君お酒飲める?今日さ、うちで飲まない?田舎話、肴に、ね?」
「いいよ」
「場所はね…いいや、今から行こう、私お腹すきすぎだし」
「いいの?」
「うん、でも美紀に見つかったらやばいから、こっそり、ね。あのこ坂下君狙ってるみたいだから」
「了解」
(講義さぼるなんて初めて…。)
笑顔が絶えず、乗り気な聡史の手を引き、大学近くのアパートまで手を繋いで歩く。ひょっとして、二人のどちらかが一歩踏み出していれば、子供の頃に同じことをしていたかもしれない。
手を繋いで、翔の家まで一緒に歩く…。そんな事を…。

「坂下君、顔赤いよ」
「相生こそ…。」
「でも意外、結構のめるんだね~」
「まあね、相生は食うほうだな、さっきもセット平らげてたし」
「あー、乙女の秘密を見たわね」
「悪い悪い」

平凡で慎ましく生きる事を望む翔にとって、異性を部屋に招き入れるのは生まれて初めての経験、という訳ではないが、珍しいことだった。
あまり深い仲になって、根掘り葉掘り聞かれたくないのが本音であったし、これといって心底愛せる男とも出会わなかった。
友達数人で騒ぐことはあっても、差し向かいで飲むのは、初めてだ。
だが、田舎の話で盛り上がるうち、聡史と翔は段々心の距離が縮まり、体の距離も縮まってきた。
不意に抱きしめられた肩、その手を払う事もせず、翔は聡史の肩に頭を乗せて仄かな酔いを堪能した。
綺麗で、引き締まった体に包まれていると安心できた。甘えるように額をこすり付ければ、抱く腕はさらに強くなる。
暫くそんな可愛らしい時間を過ごしたとき、ぽつり、と聡史が口を開いた。

「なあ、相生なんで引っ越したんだ?」

そうじゃなければ、あの後の夏休みも会えたのに、言外にそう含ませて翔の額に軽く唇を落とす。

「あの時の事は思い出すと、気が滅入るわ。」
「そんなに辛い事件だったんだ…。」
「目の前がね、血に染まったの、みんなみんな食べられて、それで…。」
「相生、いいよ言わなくて。」
「私、それから平穏に生きようって決めたの、誰にも迷惑をかけない代わりに、誰にも迷惑をかけられずに生きたいって。田舎でのハブは耐えられないから…。」
「大丈夫だよ、俺はそんなこと思わないから…。」
「ありがとう。いい人ね、坂下君、それに綺麗だし…美紀がモノにしようとしてるの、分かるなあ。」
「よせよ、あんな女の話。」

酒の勢いも手伝って、翔は向かってくる聡史の唇を拒まなかった。酒のせいで火照った唇に押し付けられる、甘い柔らかさ…。

「っ…。」
「なのにさぁ、あなたが悪いの、昔の私を知ってる上に…。」
「あ、ぃお…。」

引き千切られた舌から、ごぼごぼと血が流れ喉を埋め尽くす。綺麗な顔は紙のように蒼白。翔はもう一度口付けると、喉を鳴らして聡史の唇を吸った。

「なのに、そんなおいしそうな顔で近づくんだもん、我慢できなくなっちゃった。」
「あ…ぁ。」
「本当に辛かったの、お腹がすいてすいて…、折角両親が食べていいよって言ってくれたのに、我慢できなくてずいぶん食い散らかしちゃった。近所の人には私が悲劇のヒロイン扱いだから、言えなくて…。」
「…あ。」
「坂下君は、綺麗に残さず食べるね。お酒も入って柔らかくなってるから、大丈夫よね。」

ふうっと息を吐き出すと、まだ動いている聡史の喉を掻き切り、血をボウルに溜める。子供の頃は料理ができなくて生のまま食べていたけれど、この年になったらそれなりの料理はできないといけない。
(明日料理の本を買って帰ろう。お肉は冷凍保存の方がいいのかしら?)
細かく切り刻んで、小分けにラップで包みながらぼんやり考えた。
鬼が住む田舎。祖父は祖母を食べ父は祖母を食べた。母は食べる事がなかったから父は母を食べようとした。
柔らかい脂肪に包まれた母の肉は、とても美味そうで。噛み付くと二人とも喜んでくれた。

『翔もとうとう大人になったか!』
『いや!翔、あなたも何を考えているの!?いやああああああ!』

聡史も喜んで体を提供してくれた。これからは料理に励もう。

「ねー、最近坂下君みないよねー、やめちゃったのかなあ?」
「どうだろうね?」
「つまんなーい、あ、翔って料理すんの?」
「うん、最近こってるんだ。」
「まー翔は料理くらい出来ないとねー、大人しい女は尽くさないとさー。」
「うふふ…。」
「翔?」

「相生さん最近綺麗になったよねー。」
「ほんと肌もいい感じじゃない?どこの使ってんの~?」
「男できたんでしょ、教えろ~。」
「そんなんじゃないわよ。」
「あれ?翔ってさあ、前からそんな色っぽかったっけ?」
「やだぁ、私は初めから私よ。」
「そうだよねー。」

「ただいま~。坂下君、今日ねー皆が綺麗になった言ってくれたの、坂下君のおかげね♪じゃ、お夕飯何にしようか?昨日はミンチにしてハンバーグだったし、今日はすこーしヘルシーに肉じゃがにしよっか?あ、肉じゃが好き?じゃあ、はりきっちゃおー♪まっててね。」


嬉しそうに料理に励む翔の姿は、傍目にも生き生きと映った。少しだけ残した皮と骨を使って出来た、小さな聡史は喋ることもなく食卓の上で今日の料理を待っている。
薄くスライスされた、自分の肉を貪ってどんどん美しくなる女を見つめながら。


「おいし~♪私才能有るかも~♪ねぇねぇ、今度は何が食べたい?え?なすベーコン?ベーコンは燻製にしなきゃいけないから面倒だな~」

かちゃかちゃと擦れ合う食器の音さえ軽やかに、もう翔は何も迷わなかった。

(これからは自分らしく生きなくちゃ)

「じゃあ、坂下君いってきまーす、お肉「狩ってくる」から大人しく待っててね♪」
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:54

夏川理人

やはり九条翡翠は死んでいた、畜生!ここまで来て!
あの小箱、翡翠はあの中を見たに違いない、屋根裏で発見し、そしてあの真鋳製の鍵で九条家に関する秘密に触れたに違いない!
だと言うのに、俺は今ここで何をしている?
翡翠の死を知った琥珀が狂ってしまうのではないかと思った、が、琥珀は泣きもしなかった。そして、そして閉じ込めた、俺も翡翠も!
九条翡翠は、いや琥珀が作り出した翡翠は川辺で夕涼みを楽しんでいる。くしゃくしゃの髪の毛、着流しでぼんやり佇む姿は写真の少年に間違いないだろう。
彼は答えるのか?
俺の疑問に?

「無駄でしょうよ。」
「曜子・・・。」
「うふふ、嬉しいわ、僕のことを調べてくれたのね。」
「いや、琥珀に聞いたんだ。曜子・・・。」

まるで見透かしたように俺の前で艶やかに笑う少女、緋色の着物が夏の陽射しに反射して頭がくらくらする。
こんな陽射しの中で、汗をかくことも知らず曜子は笑い続ける。

「ここはいったい何処なんだ?」
「琥珀の眼の中よ」

意外にもあっさり答えが返ってきた。目の中?
どう言う事だ?
琥珀の中に閉じ込められる蟲・・・。俺達は、蟲?

「玄関も出入口も階段もみんなみんな琥珀の中に閉じ込められたわ、不思議な子ね・・・いえ、そうでも無いのかしら?今はここが最上階だけれど、昔々の先祖達はここに閉じ込められてるから。」
「うそだろう?」
「何が?」
「何もかもがだ、琥珀にそんな力があるなら、なぜ始めから閉じ込めなかった?なぜあんな光景を見た?琥珀はそんな子じゃない、狂ってなんているものか、琥珀は、琥珀は普通の・・・」
「そう、ねぇ普通かしら、ちょっと寂しがり屋の普通の子供・・・・。」
「そうだ、その通りだ、どうして?」
「瀬美の所為かしら・・・そうね、僕は今、瀬美に負けているのね。」

曜子はまた怪しく微笑む。不思議だが怖いと言う感覚は無かった。その顔は無邪気な子供のようで・・・。妖艶な微笑みとアンバランスなそれは不思議と美しい、黒い瞳、その眼・・・・。

「せみ、とは・・・。」
「もう会ってるでしょう。」

やっと俺がつむいだ言葉に簡単に返事を返すと、曜子は又俺に口付けた。額に、頬に、唇に、冷たいはずのその口付けは暖かく、俺は夢中で貪る。これが夢で、いや夢でなく本当に琥珀の目の中に閉じ込められたのだとしても・・・。あの空ろで淫靡な目の中で、この少女を抱けると言うのは最高の贅沢だ。

「ねえここから出たい?」

腕の中で息を弾ませる曜子が尋ねる。出たくない、この肌を永遠に味わっていたい。白い雪のような肌に俺だけの刻印を刻み込みたい。しかしそれでも・・・・もう少しで届くのだ、琥珀に誓ったのだ。『信じる』と。

「琥珀は俺を信じてくれている、俺も信じる。」
「無粋な男だこと、まあ、いいわ似てるから仕方ないわね。」
「誰と誰が?」

温かい腕が首に絡まり、もう一度熱い口付けが俺を襲う。白い肌、女性特有の柔らかさを帯びた体・・・・。

「お兄ちゃんと。」
「翡翠か?」
『琥珀よ。』

曜子の声が遠い、目を開けるとぽつんと俺は部屋の中で立っていた。まとわりつく湿気、月明かりさえ見えない夜、俺の直ぐ隣には琥珀が座り込んで涙を流していた。

「琥珀、おい、琥珀!!」
「・・・・・・。」

目から零れ落ちる、雫ではなく流れ出ると言う表現がぴったりの涙は両手で拭ってやる、何度も何度も。
琥珀を怒る気にはなれない。琥珀はただ言葉も発さず涙を流し続けている。その目は空ろであの美しい琥珀色の輝きは無い。空洞のようなそれは蝉、いや瀬美の目を連想させた。

「九条の一族が作り出した楼閣に住まうなら、曜子も親戚筋に当たるのか?」

琥珀はまだ空ろに座り込んだままだ、彼の胸ポケットから引き出した写真には夏の日、魚取りをして帰った兄弟・・・。心配するなと残された翡翠の言葉、それに、そう・・・あの小箱・・・。
小箱には古い冊子が一冊だけ入っていた。三年間で新たに積もった埃の感触、古びた墨のにおい、縦書きで左から書かれたそれはずいぶん古臭い日記だった。

『瀬美がまた曜子にちょっかいをかける、いい加減にして欲しい、しかしあれでも一応、私の許婚だ。』
『瀬美はどうやら私たちの仲間に入れないのが悔しいらしい、そして狂言のように自殺未遂を繰り返す、いい加減にしてくれ。』
『まったく、あの女は・・・曜子の方がよほど聞き分けが良く、可愛らしい、良家の子女が聞いて呆れる。』
『結婚前からこんな女に憑かれてしまって、正直気が滅入る、曜子だけが救いだ。』

どうやら瀬美はよほどこの日記の主に疎まれていたらしい。いつの頃の日記か判らないが、筆書きの日記は紙自体がボロボロになっており、力を入れれば崩れてしまいそうだ。ずいぶん昔、そう曜子と瀬美が生きていた頃のものだろうか?
しかし瀬美はこの日記の主の許婚であったなら、ここまで疎まれるのも我慢ができなかっただろう、この人物の興味はもっぱら妹の曜子に向いていた。
日記のほかの部分も『曜子』『曜子』『曜子』『曜子』『曜子』『曜子』異常なまでに曜子に執着する彼・・・・そういえば曜子が言っていた。
『お兄ちゃんと琥珀は良く似てる。』
そう、琥珀も異常なまでに兄に執着いている。
しかし、今の問題は其処ではない、その執着している兄は『死んでいる』のだから。
急いで次のページを捲る。冊子は古く力を入れすぎると直ぐにでも破れそうだ。そしてページを捲った瞬間、俺の手に、背中に顔にじわじわ汗の嫌な感覚が這い登ってきた。

『最近、瀬美は大人しい、いい傾向だ。』
『おかしい、瀬美があまりにも大人しい、逆に不安になる。』
『瀬美の名前を呼んでも無反応だ、おかしい・・・。』

瀬美がある一時期を境に大人しい少女へ変貌してしまったというのか?
少しだけの変化であれば、彼女も夜行の心を自分の方へ向けるために努力したと言うのだろうが、声をかけても反応しないのは、明らかにおかしい。
さらにページを捲る、そして・・・・。

『奇妙なことが起こった。近隣の犬猫、それに豚達の眼球が抜かれると言うのだ、始めは死んだ家畜だけだったのが、段々段々生きている家畜の眼も引き抜かれる事件になっているらしい、曜子にも気をつけるように言わないと。』

家畜の目玉?
瀬美の仕業か?
しかし瀬美は確かに目玉を取られていた。そして日記の心配事はまた曜子のことだ。異常なまでの執着、夏の日、たらいに足を浸して戯れる兄妹、琥珀だけが感じていた、足の裏で何かを踏み潰す感触、赤い赤い赤い、赤い水。

『瀬美が最近妙な鞠つきをしている、小さい鞠に紐のようなものをつけて、真っ黒の鞠だ、あんなものどこから・・・?まあいい、あの女は近々実家の方へ帰らせるのだから、気にしても仕方が無い、私には曜子さえ居ればいいのだから。』
『痛い、痛いイタイイタイ!助けてくれ、瀬美がとうとう狂ってしまった!幸いにも改造された釣り竿は小さく・・・左目は死守したが右目が、いたいい、いあああああ、助けくれ、助けてくれ!私がここで死んでしまったら誰がようこをまもるとい・・・。』

「何てことだ、瀬美が、瀬美がこの男を!あの少女が眼を奪ったんだ!嫉妬に狂って・・・。」

『お前の目をおくれ。』
『琥珀だけが狙われている。』
『お兄ちゃんと、琥珀。』

「瀬美が欲しがったのは翡翠じゃない、琥珀、正確には許婚だ、そう夜光!夜光が欲しい!夜光の目を奪ってしまい、まてよ、瀬美の目も無かったはずだな?」
『欲しいの、貴方が。』

誰だ?誰が俺に声をかける?琥珀の目は相変わらず空ろと現実を行き来しているようだ。頬に伝わる涙の後も生々しいが、どこか・・・・そう、空ろな時の瞳は瀬美に似ている。あの瀬美の空っぽの瞳に・・・。琥珀は喋っていない、何処も見ていない、では今それに話しかけたのは誰だ?!
曜子か?いや、曜子ではない、瀬美か!

『欲しいの。』

これは瀬美の声だ、隣の部屋から聞こえる・・・空かなかった部屋から聞こえる。あの部屋に何があるんだ?もう、俺には手に負えないものか?
いや、考えていても仕方ない、出るんだ、ここから!
気づけば俺は小箱を思い切り壁に打ち付けていた。脆くなった土壁ははがれ、中に竹の補強が見える。それを素手でへし折り、目を凝らす。其処には翡翠がいた、琥珀が翡翠のひざに甘えるようにしな垂れ、その背で少女が琥珀の髪を梳かしていた。少女の瞳はにごった茶色、おかっぱの髪と緑色の着物・・・。瀬美だ!

「おい琥珀!何をやってるんだ琥珀!」
『理人、理人・・・。』

甘えた顔は喜びに満ちているのに、何故だか俺を呼ぶ琥珀の声は、悲しく悲痛に満ちている。搾り出すような声の先で・・・。瀬美が笑っている、微笑でも儚げなあの笑みでもなく、間違いなく俺達を嘲笑っている。

『そうね、僕は今、瀬美に負けているのね。』

曜子はそう言った。瀬美は夜光ではないが琥珀と言う変わりを手に入れたのだ!
翡翠は琥珀を繋ぎ止める為の付録に過ぎない、翡翠は判っていたのではないか?いや、家族全員が分かっていたのだ、似過ぎている琥珀が、夜光の年になるまでこの家に居てはいけないと、だから幼い内に逃げるように引っ越してしまった。琥珀は理解できなかったが、翡翠はそれに疑問を持った、その結果が・・・・。

「琥珀、気づけ琥珀!」
『夜光、貴方の眼をおくれ。貴方の眼はあたし以外映してはいけないの。
曜子など映してはいけないよ、あんな売女、死んでしまえばいい!』
「やめろ、瀬美、やめろ!」
『理人、助けて、理人。』
『怖がることは無いよ、あたしの眼も夜光にあげる、二人永遠に夫婦になりましょう。』

瀬美は狂っていた、そうだ、琥珀が夜光と曜子を見ていた時、琥珀は第三者・・・・瀬美になってあの二人を見ていたのだ!
今頃気づくなんて、瀬美があの腕が琥珀に渡していたのは、目だ、自分の目だ!
女性特有の手、瀬美は幼い、幼さ故に暴走した少女・・・・。
夜光が曜子だけを見るのが気に食わなくて、そして日記の最後でさえ洋子を気にしていた彼が、愛しくも憎かったのだ。

「おい!おい、やめろ!琥珀は生きてるんだ!止めてくれ、あんたと同じところにはいけない!」
『夜光、愛してるわ・・・喩え貴方の子を孕んだんのが曜子であっても!』
「琥珀は関係ない!やめろ、やめろ!」
『やめて、俺は、生きていたい、あなたの楼閣なんてごめんだ!』
『まだ、そんな事を・・・。』
「琥珀、今行くからな!」

穿つ穴がどんどん大きくなっても瀬美は一向に気にかけない、こちら側に体はあるというのに琥珀は髪を梳かれ、段々瞳に口付けされている間も動かない、いや動けないのだ。琥珀の空ろな瞳、もうずいぶん昔から・・・瀬美に支配されかかっていたのだろう。
現実と非現実を行き来する時々、その中でまるで表情が違う。現実に居る時に俺に出会ったのが救いだ、じゃなければ琥珀はここへ独りできていた。そう、抗う術も無いまま瀬美に取り込まれていたに違いない。
ここは琥珀の楼閣ではない、瀬美の楼閣だ!

「琥珀!」

九条琥珀

痛い、苦しい、誰か助けて、目が痛い!
兄さん、兄さん・・・理人!理人!!!

『琥珀。』
「・・・だ・・・れ・・・。」
『言葉を出すのも辛い?』
「よ・・・こ・・・。」
『また瀬美の戯れね。』
「なに・・・を。」
『夜光に似た男の目を引きちぎり、夜光の変わりに。』
「あなたが・・・わるい、んじゃぁ・・・。」
『僕が?そうかもね、でも私だって夜光の愛が欲しかったわけじゃないわ。』
「よ・・・こ、・・っ、だ・・・」
『ああ、もうすぐ引き抜かれてしまうのね、貴方も駄目、か。』
「ふざける・・な・・・。」
『ふざけていると?』
「貴方が、追い詰めたんだ・・・・。」

曜子、瀬美
せみせみせみせみ
みーんみんみんみんみん
仲間が欲しいよ
仲間に入れてよ
聞いてはいけない、聞いてはいけない、そう。
『お母さん、あのね、二階に女の人が居たよ、おかっぱ頭で緑色の着物を着た、女の人』
引越しが決まったのは次の日だった、俺はこの家を離れたくなかったけど、兄さんが一緒に行くならまあいいかと、でもいつか、いつか、俺はこの家に戻ってずっと暮らさなければと思っていた。
たまに冷静な部分が『何故家に其処までこだわる?』と囁きかけ、いつしか、家を離れている時間が長くなれば長くなるほど、俺は家の事など忘れてしまった。
それでよかった筈なのに、子供の頃の約束を守ろうとした兄さんが、俺の所為で兄さんが、兄さんが・・・俺は、兄さんの為にもここに・・・。

『心配性な君へ、君が無事なら何も言いません。だから、早く帰りなさい。
幸せは家族とともに生きる事だけじゃない、それぞれの形があるのです。
君は君の幸せへ進むことを願っています。』

俺は、俺の幸せ・・・・・。

「貴方が、瀬美も夜光も追い詰めたんだ!ただの身勝手な女の癖に!」
『僕だって・・・。』

引きちぎられるような髪の痛み、動けないはずなのに、痛みだけははっきり認識できる。曜子が俺に手を伸ばすと、それだけで痛みが襲い、意識が朦朧としてくる。曜子には見えないのか、瀬美の手も俺の目に食い込んでくる。冷たい指先、瀬美にも曜子は見えていない。彼女達は別々に俺を責め苛む。

「嫌だ!助けて!俺は死にたくなんか無い!」
「琥珀、こっちだ出るぞ!」
『逃がさない、夜光・・・。』
『琥珀、謝りなさい琥珀!』

俺の手をとる人が居る、家族じゃなんかじゃないし、ましてや会ったばかりでろくに知った人でもないけど、けど、信用できる人だと思った。焦燥した顔で無精ひげも伸びきった変わり者が、俺の今一番信用できる相手だ。

「瀬美が、曜子が・・・うわあああああ!」
「落ち着け、良いか逃げるぞ、いざとなったら窓から飛び降りるんだ!」
『夜光、いや、離しなさい!』
「あれは・・・」

必死の形相で追ってくるはずだった瀬美の体を押さえつけているのは、腐り果てぼろぼろになった兄さんだった。
むき出しの骨、瀬美が体をゆするたびに剥げ落ちていく肉。それでも、痛いほど感じる彼の気持ち。
(ごめんなさい、兄さん、父さんも母さんも知ってたんだね、だから、だから俺まで失いたくないから黙ってたんだね。)

「兄さん、ごめんっ。」

無我夢中で走った、階段も玄関もちゃんとある、俺が目の中に、いいや、瀬美が閉じ込めていたそれは、きちんと形を成して俺達の目の前にある。
転げ落ちないように、それでもなるだけ早く。
理人が手を引いて朽ち果てた木戸をくぐる、もう少し、もう少しで車にたどり着く、もう少し・・・・。

『夜光、まって!又あたしを捨てるの?』
「俺は夜光じゃない、琥珀だ!」

瀬美はまだ俺を追いかける、理人の手が遠い・・・。走らなきゃ、背中を追わなきゃ!
自分で走らなきゃ追いつけるわけ無いんだ!

『夜光、貴方は夜光よ、交換したでしょ、ね?』

体が重い、背中に瀬美が・・・俺は、俺は・・・・。

『ずっと持っててくれたじゃない、あたしの『右目』』
「ああああああー!!!!」

胸のポケット、冷たい手が俺の頬をなで、其処に落ちる、ああ、そうだ、目の中の、小さな石、透明で、綺麗な『水晶体』!
屋根裏に上る梯子、梯子の奥にあった、水晶体。その向こうにいつも感じていた視線。その壁の向こう、壁の中に瀬美がいた。
『明日で居なくなるから。』その日、目を取られそうになったその日、夜光は決行した。彼は目を取られたしかし瀬美をあの壁の中に追い遣った。それでも、瀬美は諦めてくれない。

「違う!こんなものいらない!!!」

服ごと引き千切って投げつける。要らない、俺には俺の人生がある。

『約束したじゃない、夜光!』
『さびしいの?だったら、一緒にあそぼう。』
『戯れだったと言うの?ねえ、夜光!』

おおきくなったら・・・・。
一緒に遊ぼうって・・・・。
おかっぱ頭のおねえちゃんが・・・・。
俺は・・・・。

「琥珀!」
「ごめん!瀬美!」

瀬美の方はもう振り向かない、車に飛び乗りシートベルトを付けるのもどかしく理人がキーをまわす。瀬美は家の敷地の外へ出てこようとはしない、彼女はあそこだけで生きていくしかない・・・。

「ごめん理人、少し寝る・・・・。」
「ああ、街まで帰ったら宿を取ろう。」
「ごめんね、理人のほうが疲れてるのに・・・。」
「いいや、気にするな。」

夢を見た。
曜子が居る。
しかし曜子は少女ではなく、一人子供を連れて縁側で涼んでいた。着物も派手な緋色ではなく、落ち着いた萌黄色、髪を結い上げ、子供が沐浴するのを愛しそうに見つめてる。

『おかあさん、見て、あそこに鳥がいるよ』
『まあ、本当ね』
『曜子、そろそろ日が暮れる。瑠璃も早くあがるんだぞ』
『はぁい、おとうさん』
『はいはい、あなたも過保護ね』

縁側に出てきた『夫』は俺にも夜光にも似ても似つかぬ男だった。くしゃくしゃの頭で無精ひげを生やした・・・。子煩悩そうな男が其処に居た。
九条曜子、彼女が俺達兄弟の『先祖』だ。そして、その夫は過去にあった惨劇も、これから起こる事も知らず、美しい妻と可愛い子供に囲まれ優しい笑顔を浮かべていた。
そう、普遍的なものが幸せなのではない、彼にとって日々成長する娘と、愛する妻の新しい顔を毎日発見するとこが喜びなのであろう。
なんて、愛しい笑顔。

『さようなら、僕だって平穏な幸せが欲しかっただけよ。』
「え?」
『それじゃあ、本当にさよなら』

曜子は微笑む、最後に子意地悪そうに笑って『少し、似てるでしょ?』と。
瀬美は恐らく楼閣の中でまだ夜光を探し続け、夜光は曜子を探し続ける。永遠に叶う事のない一方通行の思い。
あの楼閣・・・。先祖代々受け継いだ楼閣だというのならば、きっと瀬美も九条家の遠縁だったのだろう。俺の中に眠っているのが楼閣ではなくただの夢であることを、今は切に願う。

『解放は、近い。』
「誰?」

俺が、もう少し大人になったら、こんな表情ができるのだろうか?右眼の無い男がそこに立っていた。呆れるほど俺にそっくりで嫌になる。
嫌になって振り返った先に、瀬美がいる。美しい笑顔だ。俺は曜子のような妖艶な女よりも、慎ましやかな瀬美のようなタイプが好きだ。
子供の頃に出会った、壁の中から語りかける・・・・。
初恋の人。

「瀬美、好きだよ。」


夏川理人

ビジネスホテルの一室で休んでいた時、テレビのニュースが耳に入った。ローカル局からの情報に、俺は耳を疑った。
『今朝方未明、山間にある九条家から火が上がり、全焼しました。この一帯は九条さん所有の山林でありますが、人は住んでおらず放火の可能性が強いとのことです。なお、焼け跡から見つかった遺体が死後2年以上経過しているとのことです。警察では、身元の確認を急いでおります。・・・次のニュースです』
焼けた?あの家が?全て?
見つかった遺体は翡翠のものだろう、琥珀の携帯がタイミングよく鳴り出した。

「はい」
『琥珀君、ではありませんね、貴方は?』
「あ、夏川理人と申します、えーっと、琥珀は今ちょっと寝てまして・・・。」
『ではお伝えください。私は九条家を担当しております弁護士です、警察の方から連絡がありまして、遺体の身元確認の件で。』
「そーですか、実は今その事件の現場付近にいるんですよ、ほら、ご先祖の墓参りに行くって言うんで、昨日から・・・。」
『失礼ですが、どのようなご関係で?』
「友達ですよ、友達・・・・。」

そう、それ以外に言いようも無いが友達だ、死線を乗り越えた・・・・。
彼はまだ寝ている・・・。さあ、これからが大変だ。
一つの事件は終わりを告げた、だがそれで直ぐに頭を切り替えて歩き出せるような人間も居ないだろう・・・。
ふと、思う。
あのまま琥珀の目の中に居れば、永遠に一緒に居られたのだろうか?
妖艶に笑う、緋色の着物と真っ黒な目のあの少女と。

「携帯、鳴ってたの?気がつかなかった。」
「弁護士さんからだよ、おはよう、ひどい顔だぞ。」

顔はまだ土気色で、目蓋も腫れぼったいが眼だけはきちんと正常の光をともしていた。ああ、ようやく終わったのだ。

「そう?でも少しすっきりした。」
「なら、いいんだけどな。」
「それとね、曜子がよろしくって。」
「ああ・・・・。」

眼鏡を外して俺を見上げる琥珀の目は、相変わらず美しい琥珀色だったが、その中に空洞や空ろさは感じられなかった。ただ少しだけ、寂しさが見えた・・・・。彼は兄が居なくなったことが寂しいのか、いや、きっと曜子が居なくなった事かも知れない。あれほど狂おしい瞳を見て、すぐに忘れられる男も居ないだろう。

「お兄さん、弔わないとな。」
「・・・うん。」


俺が事務所に帰り着き、琥珀も相続やなにやら小難しい手続きをこなす為に会えなくなって数日後、弁護士から1通の封書が届いた。九条家の当主、つまりは琥珀の両親から依頼されたのものという話だ。
自分達の死後、この封書の中身を琥珀の周りで一番信頼の置ける人物に渡して欲しい、間違っても琥珀本人には渡さないように、そう明記されていた。
中にはノートが1冊だけ、不自然に思いながらも、まるではじめて貰ったラブレターでも見るかのように胸の高鳴りを抑えられなかった。
表紙の隅には、癖のある字で『九条翡翠』と明記してある。
そう、これは翡翠の手記なのだ。
これを読めば、俺の疑問だった事や不可解なものが納得のできる形になるのだろうか?
いや、なったとしても俺達の何かが変わるわけでもない。
散々悩んだ結果、結局俺は終わりからページを捲り、最後の1ページだけを読むことにした。

『旅立つことにしよう、決して後を追わせぬように両親を説き伏せ、琥珀を見張ってもらう。
彼は悪くない、狂ったあの家が、いや、あの家で目覚めてしまったものが悪いのだ。
そう、彼女を説得すれば琥珀も普通の学生に戻ってくれるはずだ。ただ、少し気になるところもある。だから琥珀は連れて行かず、自分だけで解決しようと思う、さようなら』

翡翠の手記はこれで終わり、おそらく失踪前日のものだろう。
しかし、ノートの端に流暢で細かい文字が刻まれていた。線の細い、女性が書いたような字。
新しいインクの香りが鼻にのぼる。

『琥珀が私を好きだと言ってくれました。初恋だと笑いかけてくれました。
でも私は夜光を忘れられません。
私が私でなくなり、翡翠が翡翠でなくなり、そして翡翠が居なくなり、貴方が居なくなったら琥珀も一人・・・。』
『そうすれば、』
『私は琥珀を愛せるかもしれません。』
『九条瀬美』

見 な け れ ば よ かっ た。
部屋の端の暗がりで、少女が笑った気がした。

「琥珀、やっとあたしは幸せを見つけたわ。一緒にいきましょう。」
「ここに居たんだね、俺の初恋の人。」

みーんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみん
楼閣の中は永遠に夏、永遠に二人は離れることがない。
九条の家が燃えて瀬美は『解放された』のだ。最初から、最初から全て無駄だったのだろうか?


『本日未明、Y市に住む九条琥珀さんが殺されているのが見つかりました。九条さんは右眼をくり抜かれて殺されました。今のところ目撃者はありません。また部屋が荒らされていない事から・・・・・。また友人である夏川理人さんも同様の手口で・・・・。』

琥珀楼・了
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:29

寂しくなどない

九条琥珀

理人がそれに触ったとき、とっさに俺は『眼球』を思い出した。
思い出す?
どうして?
何を?
この家で暮らしていたこと?
この家で・・・。

『みーんみんみんみんみんみんみんみんみん』
『お兄ちゃん、どこ?』
『ここだよ。』
『ぼくも、いく。』
『あぶないよ。』
『いくの!』

ひんやり、足元が冷たい。
蝉が『泣いて』いるのに?蝉は煩い位みんみんみんみんみんみんみんみん

『お兄ちゃん、うるさいよぉ。』
『我慢しなさい、明日には居なくなるんだから』

明日?明日何があるの?

『わかった。』

わからない。
俺が喋ってる筈なのに、判らない。
ひんやり冷たい、濡れた足元。
ぱしゃりと跳ねる水。
ここは、川?
いや、足に纏わりつく水に流れはない、だから・・・・これは、水溜り?
目を開くと幼い子供がいた。夏の最中、縁側でたらいの水に足をつけている、俺も縁側で足を水につけながら涼んでいた。
ぱしゃ
ぱしゃ
足を何度もつける度。
水がどんどんどんどん赤くなる。
紅い
紅い
紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い

『綺麗だな。』
『綺麗だね。』

何が?
気味が悪い、気持ち悪い
でも俺は笑顔でその赤い水の中に足を入れる。
ぬちゃぁ
足の指先にぷちり、と感触が伝わる。蛞蝓でも踏み潰したか?
いや、まるでその感触は『眼球』のような・・・。

「っひ!いやだ、いやいやいや!」
『ねえ、お兄ちゃん、みてるよ』
『仕方ないなあ、この中に入れようか』
「いやだ!」
『いやだって』
『そう言われてもなぁ』
「やめて!兄さん!」
『お兄ちゃん、どうする?』
『嫌だって言ってるし、いいだろう。』

いっぱい、いっぱい・・・。バケツ、バケツ・・・・誇らしげに掲げる『戦利品』竿で突き刺し、中で引っ掛けて手首を捻りながら、勢いよく引き抜くとずるりと抜けるのだ。
視神経がぷちぷち切断される音も心地良い・・・・。
違う、違う、これは俺の記憶じゃない!視神経なんて見たこともない!目の奥にあるということしか知らない、眼球を触ったことなんてない!
でも・・・・・・子供のころの思い出は覚えてない・・・・。

『綺麗だね・・・・の眼』

誰?誰の眼?
俺が此方を見て笑った。
真っ黒な目で・・・・。
そう、それはさながら
黒曜石のように。

「っ!」

俺じゃない!俺じゃない!俺の目は、俺の目は琥珀だ俺じゃない!じゃあ、これは誰の記憶?
黒く、長い髪が絹糸のように夏の風に絡まる。美しい、けれど何処か俺には好きになれない笑顔がそこにある。
誰?
紅い水から鼻の奥に纏わりつく臭いがして、ここが何処か分かる前に吐いてしまいそうだ

『綺麗?嬉しいよお兄ちゃん』

目の前の子供は、随分成長して妖艶な少女に代わっていた。
緋色の着物がよく似合う、紅も引いていないのに朱色に染まった唇が動く度にそこに吸い付きたい衝動に駆られる。決して好みの女ではない筈なのに、どこか理性をぐちゃぐちゃにさせる笑顔。

『こんな所で何をしてるの?』
「君・・誰?」
『酷い子ね、忘れてしまったの?』
「誰?」
『曜子』
「よう・・・こ」
『吸いたい?吸って良いわよ。』

僕のクチビル
彼女が言いきる前に、その冷たい唇を無我夢中で塞いだ。こんなにも熱い色をしているのに、体中の血が凍るほど冷たい。自分の熱を全て移動させるかの様に、何度も何度も吸い付く。それに応える彼女、いや曜子の舌も氷を舐めているようだ。

『琥珀、僕の唇好き?』
「唇、だけなら・・・。」
『まあ酷い!じゃあ、僕そのものは?』
「分からない、でも嫌いなタイプだ・・・。」
『正直者ねぇ、でも嫌いで良いわ。』
「何故?君は誰?」
『名乗ったでしょ?』
「曜子・・・。」
『ええ、そう。僕は曜子、貴方が僕を嫌いなら、きっとここから出て行けるわ。』

自信満々に微笑む曜子の眼は、綺麗な綺麗な夜の闇のようだ。嫌いなら出れる。それは、ひょっとしたらもう遅いのかもしれない。

「ここ、なんなの?」
『貴方の家よ、判ってるんでしょう?』
「判らないから、聞いて・・・。」

これは過去?
ただの夢?ただの過去?
だったら何で俺が夢に見るの?
教えて・・・・・・。
兄さん!

『琥珀、起きてくれ琥珀!』

理人?
待って、もう少し何か思い出せそうなんだ。
そう・・・
俺たちの・・・・は

『琥珀!』
「っは!」
「起きたか?」
「理人?」
「・・・・ああ」
「あれ?」

目を覚ますと、先ほどの夢は霞がかかったようにぼんやりし始めた、待って、消えちゃ駄目だ!駄目なんだ・・・・。
曜子!まだ質問が残ってる!君は君は!

「そろそろ行動しないとな・・・。」

覗きこんでくる顔が青い、無理をさせているんだ・・・。曜子の残像を振り払うように頭を覚醒させても、目の前が暗い、眼が、眼が情報を拒否する。
それでも俺の手を引く理人、右手が温かい・・・。左が・・。握っていた小石が無い、左手の中はすかすかと空気が通り過ぎるだけ。なんにも、ない。
右手は握られているから暖かいけれど、左に空白を感じる。右側が暖かい、あの光景を見て、夢と言えど発狂しなかったのは、これのお陰だろうか?
それとも、曜子が?

「理人、俺が拾った小石、知らない?」

ゆっくり口を開く、のどがカラカラで舌も張り付く。夢の中ではあれほどあの冷たさを貪ったと言うのに、今やその名残すらも感じられない。あれは、夢?

「すまない、手から転げ落ちて、その隅で消えたんだ、それより2階へ行こう、何か掴めるかも知れない。」
「そんな済まなそうな顔しないで、あの隅?」
「琥珀、行くな。」

隅っこに行くくらいで何を心配そうな顔をしてるの?
ここは、俺の家なんだよ?

「そんなに心配そうな顔しないで、理人は休んでないの?だったら俺が見張りしてるから。」
「いいから。」
「じゃあ、二人で行こう。」

不安になることなんて何もない、曜子も言ってたもの。ここは俺の家だって、間違いないよ。部屋の隅、畳を取り外した板張りの部屋、板と板の隙間に小石は挟まっていた。理人は消えたといった手前、ばつが悪そうに不精髭をなでる。消えたと思っても無理はない、この隙間は・・・。

『なに、しまってるの?』
『宝物。』
「・・・あ。」
「あったか?」
「ここ、宝物入れ!」

床板の隙間に手をかける、本来なら釘が打ってあるそこは兄さんが少しだけ床板に細工して、指で押せば浮き上がるようになっていた。
昔々、大事な物を仕舞おうとしたした時にこっそり教えてくれのだ。そこには小さな箱が仕舞ってある。
二人で一生懸命隠した宝物。
びー玉、綺麗な石、蝉の抜け殻、押し花のしおり、鈴のキーホルダー、玩具の銃、そして、

「ない、鍵がない!」
「鍵?」
「台所の隅に落ちてた鍵、でも家族に聞いても誰も知らないし、家の中のどこの鍵でもなかった。
折角だから仕舞っておこうって、鍵を・・・」
「鍵もいいけど、琥珀、よく見ろこのメモ用紙」
「え?」
「ほかの玩具に比べて随分新しくないか?」
「あ・・・」

少なくとも、十年は経っていなさそうなメモ用紙、その1枚の切れ端にある字は確かに見慣れた癖字だった。
兄さん・・・
生きてるの?
ここに来たの?

「『心配性な君へ、君が無事なら何も言いません。だから、早く帰りなさい。
幸せは家族とともに生きる事だけじゃない、それぞれの形があるのです。
君は君の幸せへ進むことを願っています。』か、お兄さんの方がよっぽど心配性だな。」
「・・・・うん」
「こらこら、まだ見つかってないんだ・・・泣くな」
「泣いてないよ・・・」
「そうか」

しばらく理人は肩を貸してくれた。
兄さん、生きてるの?
俺の幸せ?
でも今はもう帰れない、だから・・・・だから、貴方をさがします。
いいよね?

「そういえば、少し思い出したみたいだな。」
「え?」
「宝物入れとか、鍵とか。」
「うん。」

思い出した?忘れてた?
いや、確かに微々たる記憶でも思い出せたんだ、これは進歩というべきだろう。でも何故小石はここで消えた?
曜子か?それとも・・・・。あの緑の着物の少女?それとも、もっと、別の?

「琥珀」

眼を上げると理人は舌で軽く唇を湿らしている、今から何を言うつもりなんだろう。顔色が悪い・・・。

「俺は琥珀の事を信じる、だから答えてくれ。」
「なあに?」
「君は狂ってはいないね?」
「え?」

狂う?そんな馬鹿な!俺は一瞬たりとも狂ってなどいない!
そう、昔から今まで一瞬たりとも、狂うことなど無かった、だから今も狂ってなどいないのだ。
理人こそ狂ってしまったのではないのか?

「大丈夫だよ、そんなに心配しないで。」
「分かった、信じる。」

どこか不承不承で理人は俺の前で頷いた。理人が俺を信じるというなら、俺も理人を信じよう彼が裏切るなど無いということを。
でももし、理人が信じないと言うのならば
俺を狂っていると言い出すならば。
いや、やめようこんな議論は時間の無駄だ。

「俺の思い出したこと、全部話すよ・・・理人、帰ろうね、絶対。」

夏川理人

「そうか・・・」

琥珀から得た情報は案外少ない。いや、少女・・・恐らく曜子にあたるのだろう、彼女の名前以外に大きな情報と呼べる情報は無さそうだ。
『曜子』には兄があり、彼女達が『眼球』を集めていた?
いや、そんな事をしてはいくら田舎の旧家と言えど噂にならない訳はない。それに人間の目がそれほど簡単に引き抜かれるものなのか?
では、彼女たちは何を集めていたのか?
そして翡翠は何を調べていたのか?
『曜子』は真黒の瞳で緋色の着物を着ている少女、では『鞠』をついていた少女は『曜子』ではなく別の少女なのか?

「判らないな・・・。」
「そう・・・。」
「とりあえず、2階へ昇ってみよう。」
「うん。」

全てを吐き出してすっきりしたのか、琥珀はずいぶん顔色がよくなった。小さい石を兄の写真ともどもポケットに入れた。
あの小石
ガラスのように透き通って、丸い、およそ自然にできたものではなさそうだ。

「むかし、ここに住んでいたんだよな?」
「うん、宝物入れにいろんな物を入れたし、鍵も見つけたし、縁側でね・・・蝉が泣いてた、仲間が欲しい、欲しいって、『泣いて』、でも。」
「でも?」
「蝉の姿は見たことないなぁ。」
「そうか・・・。」

ぎぃ
ぎぃ
ぎぃ
二階への階段も随分軋む、壁に浮かぶ染みも纏わりつく熱気も段々と膨れ上がるようだ。
ペタ、ペタ、ペタ
子供の手形が幾つも幾つも浮かび上がっては消え、その度に二人で身を竦める。

「っ・・。」
「手形だ、ただの手形だ。」

嗚呼、もういっそ狂ってしまおうか?
否、ここから出ると決意したばかりではないか!
最後の一段を二人同時に昇りきり、同時に振り返る。

「又か・・・本気で俺たちをここから出さない気だな」

俺と琥珀が瞬きする間に、階段までも消え失せていた。階段があった場所は真っ白な漆喰で塗り潰され、床のようになっている。他の木でできた床とは明らかに異質なそれ、懐中電灯で照らしてみても黒ずみのひとつすら見つからない。
あまりにも完璧な白は、もはや恐怖しか感じられない。
(はぁ・・・)
背中がぞくぞくする、熱気と湿気は確かに密度を増しているのに、誰かが後ろで見ている!

「っ!」

振り返っても誰も居ない、子供か、いや・・・特定はできないが、誰かが居た筈なのだが・・・。

「理人、部屋が5つあるよ、どれから見る?」
「あ、ああ・・・。」

琥珀が酷く冷静に言い放つ。もう恐怖に慣れたのか、それともまた空ろに取り込まれているのか。それは分からない、けれど、信じると言った、信じよう。
額の汗を拭おうとした手の中がじんわり湿っている。冷や汗で濡れたのだ、ズボンの裾で拭くと、どろりとした感触が、やめてくれ、もうやめてくれ!俺は帰るんだ!

「理人?」
「あ、ああ・・・手近なのから行こう、大丈夫だ、大丈夫・・・。」

一瞬垣間見えた手の中のもの
どろりとしたゲル状で半透明なそれ
どこかで感じたことのある感触だった。
そう、あの指が沈み込んだ物体の中で・・・。

「あれ?開かない」

っふ!?なんだ、あの物体は?いや、もうそんな事を気にするわけにいかない。琥珀はもう一番手近な襖に手をかけていたが、横にスライドさせてもがたがたと鳴り響くだけで開きそうにもない。

「向こう側で何かが塞いでるのかも知れないな、こっちはどうだ?」
「ああ、開いたけど、なんにもな・・・・」
『琥珀?』
『どうして泣いてるの?ねえ、あの声、おかしいよ。』
『聞いちゃいけないよ、琥珀には関係ないんだから。』
『どうして?』
『聞いちゃ駄目だよ。』
『どうして?』
『連れて行かれちゃうから。』
『どうして兄さんがそんなこと知ってるの?』
『それはね・・・・。』
「琥珀!」
「っ!」
「なんだ?今度は何が見えた?」
「せみ、せみ・・・・・・」
「セミ?」
「泣いてる、泣いてるの、仲間が欲しいと泣いているのは、緑色の着物の女の子・・・瀬美。」
「落ち着け、落ち着け琥珀!」
「連れてって・・・・。」

ガタリと部屋の奥で音がする。緑の着物を着た少女、いや瀬美が微笑んでいる。その透き通る体は、部屋の奥を指差す。儚げに笑うその表情、そして空ろな、いや、空(から)の瞳!

「そこに、何があるんだ?」

瀬美は答えない、奥を指差しつづける。

「答えろ!」
「瀬美、連れてって・・・。」
「行くな、いいか、琥珀これは危険なんだ、分かってるのか?!」

微笑む瀬美の瞳は空洞になったまま、左目は相変わらず朱に染まっていた。だが確かに彼女は微笑んでいる。指の先にあるのは奇妙な形の釣り竿。そして俺の問いに答えることも無く、そして琥珀も残したままふつりと消えてしまった。

「消えた・・・。」
「琥珀、夢に出てきた釣竿っていうのはこれか?」
「たぶん・・・。」

糸のついていない『釣り竿』は、一番先に剃刀のような刃をつけ、その少し後に返しがついている。引っかけて、ぐっと力を入れれば本当に取れてしまいそうだ。
いや普通の人間の目には小さすぎないか?釣り竿は子供用でとてもとても小さかった。

「あの眼も、この中に・・・・琥珀色の眼」
「瀬美は二人に目を採られ、それで成仏できずにこんな事に・・・同じ一族の子孫、翡翠を呼び寄せて・・・」
「・・・・」
「行こう、残りの部屋も調べないと」
「・・・・う。」
「琥珀?」
「・・・なんでもない。」

九条琥珀

「・・・・なんでもない。」

言ってはいけない気がした、『違う』そう言ってはいけない気がしていた。
理人は釣り竿には触れず、彼の手は次の部屋の扉を開けようとしている。その次の部屋には無いも無い、その次にも・・・。開かない部屋以外では最後の部屋、ここにあるはずだ。

『ひっこすの?』
『そうだよ、もうここには戻ってこられないんだ。』
『やだよ、ここがいいよ。』
『駄目なんだ、琥珀、兄さんと約束しよう。』

何を?

『いつか何も心配事がなくなって、二人でここに帰ってきたら幸せに暮らそう。』
『いつか?』
『そう、兄さんと琥珀の二人だけの約束だ。』
『やくそく、ぜったいだよ。』

約束だったのに、兄さんは一人で行ってしまった。夏の間中毎日毎日泣いていた瀬美、兄さんは聞くなと言った。だから兄さんには聞こえていた筈だ。
仲間が欲しい。
なんの?
彼女は眼を奪われた?
狂った曜子に?
黒色の『鞠』をつきながら
小さい小さい
『眼球』
胸ポケットに手を伸ばすと、確かに転がる、
『水晶体』
それは・・・・。
瀬美の・・・・。

『家中探して、見つけ出したら、きっと琥珀も怖くなくなるよ』
『こわいの?』
『まだ、わからなくてもいい。』
『はあい。』

この扉を開けばきっとある。
俺が怖がったのは、不幸な女性の瀬美?それとも曜子?兄は何かを知っていた。それなのに謎かけをしたまま戻ってこなかった、きっと絶対の自信が有ったから。
頭の中で『何か』が木魂する。
理人が開いた襖の奥で、懐中電灯に反射する光、鍵・・・其処にあるのは、鍵と天井裏へ続く梯子、そして鍵の開いた小箱、そして・・・・。
瞳の無い男性の遺体・・・。
腐敗して、いくつか白骨部分が見えているそれが小脇に抱えているバッグには痛いほどの見覚えがあった。

「にぃさぁん・・・・。」
「じゃあ、この人が?」
「兄さん、こんなところに居たの?二人で、二人で幸せになるんじゃなかったの?」
「琥珀?おい、何を思い出した?おい!」
「もう寂しくないよ、俺ずっと一緒に居てあげるから。」
「何を言ってるんだおい、琥珀!」
「心配しないで、理人も一緒だから。」

微笑んで瞬きすると、理人はもう其処から消えていた。
みーんみんみんみん
真夏特有の湿気に、昼の暑い陽射し。
川辺で涼む兄さん、俺は二階で読書中、理人は何処に行ったんだろう?
車かな?
ここには川も橋も桜の木も、出入口もなんだってある。
ああ、そう、始めから・・出入口も橋も・・俺が自分で瞳の中に閉じ込めていたんだ。
要る者だけ閉じ込めた世界・・・・もう、何も・・・。
失わなくて済む、永遠に、この楼閣で。上へ上へ何代も重ねた、この楼閣で。
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:28

過去との交錯

九条琥珀

少女の声は確かに消えていた、だけど、あの顔に指が沈み込むような感触が・・・どうにも薄気味悪い、気持ち悪い、眼鏡を外して何度も何度も目の周りをこする、段々痛くなるがそんな事より、今この不気味な感触を拭い去れればいいのだ。

「もうよせ、赤くってる・・・。」

理人がゆっくり右目の周りを拭うと、ようやく落ち着いてきた。はぁ、っと息を吐く。2・3度目を瞬かせ、今度こそ盛大に崩れ落ちた。
足が竦む、指先に力が入らない・・・・。
小刻みに歯が震え、カチカチと嫌な音が脳みそに響く。
どうして?
なんで女の子は、俺の方に?
眼が・・・、『鞠』が欲しいと言いながら、俺の眼を・・・。
髪をかき乱しながら顔を上げる、こんな場所、もう・・・・。

「もう、もう嫌だよぉ・・・・」
「琥珀?」
「後ろ、もうやだ、やだ・・・」

振り返って玄関を見る理人、俺、もう嫌だ、これはないだろう・・・!
どうして?

「又か・・・・どうしてこの家の出入り口は消えるんだ!」

玄関の引き戸は綺麗さっぱり消えていた。まるで其処に何も無かったかのように・・・。元々一枚の壁が有るかのごとく、他の部分と違和感が無い。
白く塗られた、壁・・・。

「やだよぉ、ごめんね、ごめんね、理人、ごめん・・・・。」

泣く以外に方法も見つからない、理人を巻き込む気なんてなかったのに、何で入り口という入り口は消える?
擦り過ぎた眼の下は、涙にも焼かれヒリヒリと痛みを訴える。痛み以上に、心が苦しい・・・いっそ、この壁を殴って破壊してしまおうか?血が滲むまで殴れば穴くらい開くかもしれない。
だけど理人は深呼吸をして、俺の頬を軽くはたくと、俺を立ち上がらせた。

「しっかりしろ、お兄さん探すんだろう?一緒に暮らすんだろう?」
「う・・・・ん。」
「じゃあ、泣いても良いけど先へ進むぞ、いいな?」
「進む・・・。」
「そうだ、とりあえず1階をぐるっと回ってみよう。」
「うん・・・。」

不器用なウインクと共に俺の背中をはたく。進む、そうだ、泣いていたって誰も助けに来てくれないし、何も出てこない・・・。ふらふらと理人に寄り掛かかって、ようやく立ち上がる、深呼吸をして回りを見渡す。過去、住んでいた筈の家・・・。何が起こっているか理解に苦しむが、確かに俺はここに『住んで』いた。
玄関から又も一直線に突き当たりの壁が見える、どうやら複雑な構造ではないらしい。出入り口だった場所に背を向けて立つと、左手に階段右手には短い廊下と襖で仕切られたいくつかの部屋、正面は壁・・・。
いや、壁と右手の部屋の間に陰影が見える。おそらく水場があるのだろう、その先はもう何も見えない。

「懐中電灯だけはあってよかったな。」
「うん・・・。」

理人が明かりを灯し、先々を照らすが、廊下の突き当たりを見ても何もない。
住んでいたはずなのに、家の構造に何も覚えが無い、いや、ぼんやりとした部分は少しだけ思い出にあるにはあるが、細かい部分は思い出せない。
いや、十年以上も離れていれば、それが普通なのかもしれない。蝉の『泣き声』、夏の日、暑い、暑い・・・・。

「行くか。」
「・・・・うん。」

俺達は言葉すくなに右手の短い廊下に足をかける。
ぎぃ
1歩
ぎぃ
1歩
古びた木が足の裏に頼りない感触を残し、押し殺した悲鳴のように鳴り響く。

「ぎーぎーうるさいな、これは。」
「・・・うん。」
「琥珀?」

短い廊下を進むとそのまた右手になる部分、丁度玄関があった方角に広い開口部が見える。別段不思議でない造りだが、俺には不思議に思えた。
明るい
まるで庭から夏の日差が降り注いでいるようだ。
みーんみんみんみんみんみん、みーんみんみんみんみんみん・・・・・

蝉が『泣いて』いる
『みーんみんみんみんみんみん・・・・』
『みーん・・・・・ーん』
『何で、泣いてるの?』
『仲間が欲しいからだよ。』
『なかま・・・?』
『そう、でも、琥珀には関係ない。』
『ないの?』
『だって・・・の子は・・・・の・・・。』
『にいさん?』
「琥珀?」
「兄さん!」

その場所には壁しかない。
何処へ?いま兄さんが居た!子供の頃の、兄さんが・・・。
窓が、ここに窓があったんだ!
消えてしまったけど、窓が・・・・、あったのに・・・。兄さんが、居たのに・・・。

「琥珀、どうした?」
「いま窓が!すごく光って明るくて・・・夏みたいに日差しが・・・・俺と兄さんがいて・・・・・あれ?」
「壁だよ、ここも・・・ひょっとしたら障子があったのかもしれないけど」
「あれ・・・・?誰?泣いてたの、仲間が欲しいって・・・蝉が、うるさくて・・・蝉が、仲間をほしがって・・・。」
「落ち着け、何を見たんだ?」
「夏の日で・・・・。」

息を1回だけっはっと吐き出すと、自分自身にも今見たものは過去の記憶ではないかと思えた。過去に、こんな会話をしたのかもしれない・・・。
夏の日に、この家に居た。蝉の『泣き声』を聞いていた。生まれてからずっとずっと・・・。
ずっと?冬には無いはずのそれを?

「ごめん、昔の事とごっちゃになってるみたい」
「ならいいんだが・・・」

そう、昔のことだ、昔だから冬にも蝉の声を聞いた気になってるだけだ。過去が、ごちゃ混ぜになっているだけだ・・・。
無精ひげをなで、理人は一応納得したようだ。下を向いて頭を振っている俺は足元で蠢く湿気に身震いしていた。ここに閉じ込められてからか、それとも初めからか・・・足が思うように動かない、頭も・・・まるで、霞がかかった様に要らない事ばかり考えてしまう。
閉じ込められた。
出られない。
待つのは。

―死?


夏川理人

「何もないな。」
「うん。」

襖・障子を開け放ち押入れの中まで探っても1階には特に物珍しい物はなかった。
引っ越してしまったのだから仕方ないが、家財道具一式すべて無く、畳も剥がされ床板も露出している。
ここまで来て手がかりらしい物の一つもない。

「ごめんね、理人、疲れたでしょ?ずっと車運転してたし・・・廊下で少し休む?」
「いいや、構わない。」
「でも・・・。」

琥珀が声をかけたのは一階を調べ尽くし、階段へ戻って来たその瞬間だ。俺自身確かに疲れていたが、ここで眠る訳にもいかない、何故だかそんな気分にさせられていた。ゆっくり首を振って、肩をほぐし、伸びをすれば少しだけ疲労も回復する。
琥珀の目は相変わらず、空ろと通常の間を行き来しているようだ・・・。
ひょっとして、元々琥珀は『狂ってる』のではないか?
それを周囲に噂されるのを恐れた両親がここから引っ越した、田舎より多少なりとも人間関係の希薄な都会に移り住めば『変わった子供』で済む。
兄は本当にいるのだろうか?
いや、写真の二人が兄弟ならば本当に居たんだろう。ただ、死んだこと居なくなった事を認められないだけかもしれない。
しかしそれでも・・・例え琥珀が狂っていようとも・・・・俺たちの前で出入り口が消え去ってしまったのは事実なのだ。
不安・焦り・恐怖
そして・・・琥珀がもし『狂っている』のならば、あの少女を見た俺もすでに『狂っている』のかもしれない。

パシャ

「?あ・・・?」
「水音?」

ぱしゃぱしゃぱしゃ

「さっきの台所か?」
「でも、何もなかったよ?」
「行ってみよう」
「あ、待って、待ってよ!・・・・・あ・・・。」
「琥珀?」
「ううん、なんでもない」

水音も気がかりだが、暗がりで身を屈めた琥珀のが拾ったのは、小さな石ころに見えた。
石ひとつ、放って置いてもいいものを・・・・。
立ち上がった琥珀の眼は、又空ろに戻って・・・いや、なっていた。

「!!」
『理人?』

一瞬琥珀の声が遠くなり、琥珀の後ろに小さな手がいくつもいくつもいくつも見える。
やめろ、やめてくれ!
琥珀は気づかないのか?!
髪を撫で、何かを琥珀に押し付けようとしている病的なまでに白い手・・・ふっくらとした・・・。女性特有の。
手。

「琥珀!後ろだ、後ろ!」
『え?何?理人。』








無我夢中で懐中電灯を振り回した。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もその小さな腕に振り下ろす。
電灯とその腕が触れた瞬間、少しだけ皮膚が沈みこむ感触と、骨の軋む音・・・。
キシュ、ぐちゃり
腕が床に落ちて、2・3度バウンドする。
ぼとり
腕から何かが落ちた。何かは分からない、見たくない、見たくも無いのに眼が離せない見るな見るな見るな!

「理人、一体どうしたの?」

琥珀が俺の顔を覗き込む。何だ?今のは何だったんだ?!どうして琥珀に見えない?俺だけが狂い始めているのか?
空ろな眼で見つめるその表情は落ち着いたままだ。落ち着きすぎて、気味が悪い・・・。いや・・・見えなかったんだ、琥珀は見ていないんだ、だから・・・・。

「大丈夫?」
「ああ。」

体中の穴という穴から汗が噴き出す。鼻の頭を拭えば嫌な臭いとべたつく汗の感触・・・。狂うな、俺は正常だ!まだ、まだあれを怖いと思える。だから、正常だ・・・。

「ところで今のは・・・なんだったんだ?」
「え?今何かあった?」
「ああ・・・・」

カラカラの口の中から言葉を引っ張り出すが、琥珀は不思議そうに足元を眺めるだけで終わる。ときおりその顔は笑顔のように歪むのが、気味が悪くて・・・・。
先程の腕も奇妙では有ったが綺麗さっぱり消えて、いなかった・・・。小さな手が琥珀の足元へ這いずり代わる代わる『何か』を押し付ける。
やめてくれ、もうやめないか!

「琥珀!足元だ!下を見ろ」
「え・・・・?」

俺の声に只ならぬものを感じたのか、今度は眼に正常な光をともして恐る恐る下をみるが、本当に琥珀は見えていないらしい。懐中電灯をふって今まさに俺が目撃している手を照らしているというのに、何一つ動じていない。

「何?・・・何かあったの?」
「動くな!!」

思い切りその手を踏みつけると、みしり、と骨が軋む音がした。うう、気持ち悪い、気持ち悪いが強引に何度もその腕を蹴り付ける。
ぐちゃ
べしゃ

「っは。っぁ!」
「理人?」

俺にだけ聞こえるのか、ぐちゃりという音がしてその手はずるずると階段下まではいずると、2階へに上っていき、やがて消え去った。
不審そうな琥珀の視線。
いや、もう消えたのならそれでいい・・・だが、足元を照らす彼のライトの先に、腕が落とした何かが入り込んできた。
丸いものだ・・・。

「なんだ?これは・・・」

指先で触ると、ぶにょりとした感触・・・ぷちゅり、と音がしてずぶずぶ指が沈む。
生暖かいゼリーの中に指が沈み込む、そんな錯覚に陥った。
暖かい、暖かい、暖かい暖かい暖かい暖かい暖かい暖かい暖かいが、これがゼリーであるわけはない!

「うわ!」

気色の悪いそれから指を無理やり引き抜くと、
どろり
大量の何かが指で作った穴からはみ出し、ごぷぅと音を立てる、汚い、汚い気持ち悪い。

「理人?さっきから何してるの?」
「そこの変なもんが・・・・、無い?いや、あったんだよ!丸くて真黒で、指で押したら中はゼリーみたいで・・・・」
「無いよ、そんな『眼球』みたいなもの。」
「・・・・眼球、まあ、そうだな、似てるな・・・・。」
「台所、行くんでしょ?」
「ああ」

ふわりと笑う琥珀の眼は、メガネの奥で綺麗に細められていた。
会話をしているはずなのに、今まで以上に琥珀の細められた眼が・・・・此処ではないどこかを見ているようだ。気になどしていない・・・なにも、なにもかも・・・。
そして、
『眼球』
なぜいきなりそんな単語が出るんだ?
柿羊羹でも、ボールアイスでもいいじゃなか?それとも若い奴はそんな事を知らないのか?丸くて黒い・・・・。
いや、何を疑う。あの少女に目を襲われたからそんなイメージなのかもしれない、彼女の言う『鞠』が『眼球』ならば確かにあの鞠は黒かった。
だから?
あの少女・・・・変わった手鞠歌、眼の無い少女・・・。
夜光、夜光・・・・。

「琥珀」
「ん?何?」
「夜光っていうのは、なんだかわかるか?」

電子辞書でも持ってくればよかった。あの少女の奇妙な歌、謎を解く鍵である筈の九条翡翠のメモ・・・・こんな状況ですっかり忘れ去っていた。

「ダイヤモンドだよ」

琥珀が知っている訳は無いと思っていたが、案外あっさり答えが返ってきた。ダイヤモンド?宝石のあれか?
琥珀は又虚空を見ながら、くすくす笑っている。何も見なかったはずなのに、何故琥珀がこうも『狂っている』ように見えるんだ・・・。

「ダイヤの和名は・・・・金剛石だろう?」
「他にも色々あるの、夜光珠もダイヤモンドの和名。金剛石って言うより雅な感じがしない?」
「彼女は金よりダイヤが欲しかったのか?」
「彼女・・・・ああ、あの子。」

琥珀の視線も態度も、随分冷たいものに感じる。彼は一体どうして動じていない?まるで別人のように、細い手首かに繋がっている白い手で長い髪を透く。長くなど無かった筈の髪がいつの間にか腰まで伸びている・・・。
あの子と、親しげに笑う琥珀の瞳は真っ黒で、あの美しい琥珀色ではなく、それでも艶を湛えた、黒い黒い底の見えない瞳・・・。

「金も銀も要らないダイヤが欲しい、それ駄目なら・・・・琥珀?」
「ふふ・・・・」

肩を震わせ、艶やかに笑う琥珀?違う、これは違う!
長い髪、黒い瞳、細い首・・・・白い手・・・。女の、手・・・。
緋色の、着物・・・・。

「金とダイヤの価値なんて人夫々よ。」
「何を?」

何を言い出すんだ?もう顔まで他の者と挿げ替えられたように妖艶な笑みが浮かんでいる。いや、こんな笑みを確かに琥珀は何度も俺に見せていた。
空ろな眼とも、正常な時に見せる眼とも違う・・・。一瞬だけ垣間見えるこの笑みを。

「琥珀に翡翠に夜光、彼女が欲しかったのは夜光なの、それがいないから、琥珀で我慢しようとしたのよ。」

分かる?と小首を傾げる仕草は、とても幼く。妖艶な笑みとの間でアンバランスに揺れる。
ゆらゆらゆらゆら。

「君・・・は、誰だ?」
「僕?そうだねぇ・・・琥珀が琥珀でなくなったら、君はどうする、理人?」
「誰なんだ?琥珀じゃない、それは分かる」

艶やかに笑う彼女、琥珀と似ても似つかない少女がそこに居る。
長い長い髪、真っ黒な瞳、派手で艶やかだがどこか、古臭い緋色の着物・・・。
思わず、じりじりと足が下がる。
たかが女一人じゃないか!何を怖がる?
少し伏せた眼から滲み出る、確信めいた自信の色、艶やかな唇・・・。
綺麗だ・・・。

「まあ、もう少しがんばってみる?どっちが早いか、試してみましょう」
「待て!」

女の唇が俺の頬に触れる、ひやりと金属でも触れたようにつめたい唇・・・。
待て、待つんだ!もう少し、もう少しその姿を消さないでくれ!もう少し俺の傍に!
しかし次の瞬間、琥珀は琥珀のままでその場に倒れこんだ。慌てて駆け寄り口元に手をかざす。呼吸はしている、顔が紙のように白い。
なんなんだ、なんなんだ、あの女!
妖艶で、おぞましい程魅惑的な
あの女。

「なんなんだ、何なんだ、畜生!」

部屋に入って休むのは気が引けたが、琥珀が気絶しているのだから仕方がない。布団でもあれば良いのだが、押入れには何もないことは先程確認している。玄関から一番近い部屋の隅で琥珀を少し休ませることにした。
しかしなぜこんな事に・・・。
ここへ来たのは単純に謎解きができると思ったからだ、幽霊屋敷は反則だ。しかも九条翡翠の手がかりは一向に掴めない、疑問ばかりが増えていく。
ひゅう

「っ!」

・・・・・・。

「風、か・・」

ドクン、ドクン。心臓が無理を訴える。風の音にさえ過剰に反応し、傍で寝ている琥珀の手をまるで幼子のようにつかむ自分は滑稽でしかない。
事件の解決なんていう妄想に憑かれて、琥珀の不安と事情を自己満足に利用とした結果がこれか・・・。
いや、もし解決したら琥珀の心が楽になるんじゃないかとは、少しは思っていた。
琥珀もそんなに期待してはいなかったんじゃないのか?
しかし、結局たどり着いたのは、不安と恐怖と、謎ばかりのこの家だ。

「琥珀、起きてくれ・・・。もう、一人でここに居るのは耐えられない。」

泣き言を言っても琥珀はぴくりとも動かず、浅い呼吸のまま眠っている。翡翠、彼が何故ここに来たのだ?謎は解けないままなのか?
嫌だ。
俺は行きたいのだ。
そして、この謎に先には。
あの、少女が居る。
翡翠の写真は、確か琥珀が胸ポケットに入れていた。起さないよう、慎重に胸に手を近づける。触れた瞬間、鼓動が指を伝わってくる。
ああ、まだ俺たちは・・・・生きている、生きているなら、前に進める。

『私が私でなくなったら、私はそこで終わりです。
 君は後を追ってはいけません。
 だけど心配性の君の為に一つだけ置いて行きます。
 この思い出は忘れるべき物です。私と一緒に封印してください。 翡翠』

「『私が私でなくなったら』か、これは琥珀みたいに憑かれた状態だってことか?」

おかしな話だ、つい昨日まで幽霊だなんて、テレビの中だけの出来事だったのに。
しかし、今実際に緑の着物の少女と、緋色着物の少女を見た。生きているとは到底思えない二人を・・・・。
どくん。
又心臓が鳴る。だが、この鼓動はなんだ?
まるで少年の頃、すれ違うだけで嬉しかったような、あまい疼き。

「しかし少女といい、手といい、この場所で襲われるのは琥珀だけ、やはり琥珀自身か、この家に何かがあるのか。」

無理に声を出して推理する、こうしないと恐怖と頭に上った熱でどうにかなってしまいそうだ。
出られない、出入り口はない、味方も居なくなるかもしれない、そして、最後は・・・・自分も居なくなるのかもしれない。

「くそ!」

琥珀は起きない、あれからどれだけ経っているのもわからない、左手で琥珀の右手を握るが、まるで雪のように冷たい、雪のように白い肌、冷たい唇・・・・琥珀はあの妖艶に笑う女とどういう関係なんだ?
少女は夜光を欲しがった、夜光はダイヤ、ダイヤ欲しがっていたのか?いや、ダイヤとは眼のことなのかも知れない。しかし琥珀の色ならばまだしも日本人の眼でダイヤ色というのは不気味この上ない。外国人でも不気味だ。

「情報が少なすぎる、どうしろって言うんだ・・・」

1階にはさしたる情報は無かった、こうなったら2階へ行くしかないのか・・・。しかし、2階はあの腕が消えていった場所だ。待っていても食料もないのだから、飢え死にするのが早いか、狂って死ぬのが早いか・・・。
それだけの違いだというのは頭では理解しているが、踏み出すことがどうしてもできない。

「琥珀、起きてくれ、琥珀・・・」

まだ琥珀は目覚めない。揺すっても、軽く頬をはたいても目覚めない。
ころん
左手から何かが落ちた。軽く握った手に何かを持っていたらしい。さっき拾った小石のようだ。いや、小さな小さな、球状の石・・・無色透明なそれは、ビー玉のように転がると、意志を持っているかのごとく奥へ奥へと転がり、部屋の隅で溶けるように消えてしまった。
もう、この家で何が消えても驚けないような気がする・・・。

「なあ、起きてくれよ琥珀!」
「・・・・・・・・ん」
「琥珀!」
「っ!」
「起きたか?」
「理人?」
「ああ・・・・」
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:26

懐かしいはずの家

夏川理人

九条翡翠が失踪したのは3年前、1週間ほど留守にすると言い、そしてメモを残してふっつり姿が消えた。
琥珀に状況を聞いても、小旅行にでも行くかのごとく小さなバッグ、そしていつものように琥珀の頭を撫でて出て行ったらしい・・・。
その後の消息、その他一切不明、家族・親戚・友人全てに連絡もなし、弟宛に不可思議な伝言を残して、彼は世界から消えた。
琥珀の目は相変わらず少しばかり空ろに見える。きっと本人にそんな自覚は無いだろう
が、見ていれば見ているほど、光が失われ、そして一瞬舞い戻る。
危なっかしいことこの上ない。

「行こう、早くしないと日が暮れるよ。」
「そうだな。」

彼は家、いや屋敷の中に入っていった。朽ちた木戸を慎重に剥がす白い指先は震えを押さえ切れていない。確かに朽ちた家だ・・・だが、なぜ日が暮れると危なく、琥珀はここまで震えているのだろう。
何かあるのか?
いや、ただ朽ちて足元が危ないのかもしれない・・・。
キィっと引かれた木戸はぼろぼろ崩れ落ちてしまった。

「あ・・・。」
「大丈夫だ、とりあえず・・そうだな、庭をぐるっと回ろう。」
「うん。」

日本家屋は本来、垣根が低くそのまま立っていれば、成人男性が顔を出せる程の高さしかないはずなのだが・・・どうだろう、この家は?
漆喰で堆く作り上げられた塀、2m以上はある其処には俺でも塀の頂点に手をつく事はできない。琥珀は見上げた時点で諦めてしまった。

「高い塀だな・・・。」
「うん、そうだね・・・。」

漆喰の塀に手をつくとひんやりした感触がある。6月、湿気の多い季節で蒸し暑い筈だというのに・・・じっとり纏わりつく霧が・・・。

「ひゃ!」
「どうした?」
「今首筋に・・・冷たいのが・・・。」
「霧だ、気にするな。」
「そうなの?」

ひんやりした『霧』、俺の背中にも張り付いているが、俺は気にしないようにした。ここで年上の俺が騒ぎ立てれば、琥珀が怯える。
ここに何があるのか知らないが、少なくとも懐かしく喜ばしい思い出ばかりではなさそうだ。

「向こうにあるの、何かな?」

玉砂利を埋め込んだ小道を進むと、そのまま一直線に向こう側の塀、屋敷のどん詰まりが見える。琥珀が指差す場所にあるのは、おそらく橋ではなかろうか?
少しだけせせらぎが聞こえる。

「橋だろう、川があるんじゃないのか?」

俺は琥珀の右手をつかんで橋へ向かった。通り過ぎる屋敷の壁面、障子や縁側を見るとずいぶん草臥れてぼろぼろになっている。住人のいない家は朽ちるのも早い。
琥珀の正確な年齢を聞いて無いが、小学校に入る前に引っ越したのならば恐らく十年以上が経過しているに違いない。十年以上経った家に手がかりなど残ってはいないだろうから、橋を見たらいったん引き返すのが良いだろう。
とりあえずは少し見回ろう。
ぐんぐん川に近づく、せせらぎも大きく大きくなる。

「な!」
「川・・・?」
「川だったんだろうなあ・・・・」

確かに橋はあった。途中が朽ち、真ん中に大穴が開いた橋の下には先ほど聞いたせせらぎの欠片も見出せない程、干上がった川の痕がある。
空耳だろうか?
それとも橋があり、そして写真の風景からきっと川があると思ったのだろか?

チョロチョロチョロ

「ん?」

確かにせせらぎが聞こえ・・・その場所には確かに川が生まれていた。赤い、赤い川、
どろりとしたそれと、鼻の奥に来る鉄の匂い

「うわぁ!」
「理人?」
「あ・・・?」

瞬きをすれば、其処はただの川の名残でしかない・・・・。
おかしい、俺が、おかしくなったのだろうか?

「どうしたの?」
「い、いやぁ・・・なんでもない、今日はもう遅いし、どこかビジネスホテルでも泊まらないと・・・。」
「え?調べないの?」
「今からじゃあ無理だよ、暗くなる、急いだ方がいい、急いで此処から出た方がいい・・・。」

納得がいかない様子で橋の残骸を振り返る琥珀の腕を、先ほどよりも強く強く引き、俺たちは入り口へ戻った。
早く、早くあの木戸へ向かわないと!
俺の中で警鐘がけたたましく鳴り響いてる。
しかし、警鐘だけでは無駄なのだ・・・・。それは、今の状態で十分納得した。

「おい、木戸は何処へ行ったんだ?」
「さあ?」
「さあ、じゃあ困るな・・・・。」

琥珀は呆然と漆喰の壁を見上げる。しかし埒が明かなくなったのか、自分が崩した木戸の破片を拾い上げもてあそび、俺ははまるで空洞でも探すかのようにノックするが、当然何も出てこない。
まるで其処ははじめから唯の塀であったかのように、黒ずんだ色を変えようとはしない。

「お手上げだ、橋の方から横へ抜けよう、この最ここは後回しだ。」
「何で入り口が消えるの?」
「わからん・・・とにかく、道具は殆ど車の中なんだ、此処をいったん出ないことにはなんともならない。」

俺はあくまで冷静に言い放つが、自分まではごまかせない、ほら、今、声が上ずった。琥珀の目はじいっと壁を見つめるだけだ・・・。
落ち着いているようにも見える。琥珀の視線を追うが、呆然としているのか、落ち着いているのかは図り取れない。
不気味だ・・・・。子供のように取り乱すわけでも、女のようにヒステリックに叫ぶ出すわけでもない。振り向いた彼の眼は、空ろながら不気味な程に落ち着いている。

「橋に行くんでしょ?早く行こう」
「あ、ああ・・・・。」

ようやく視線を琥珀から外すが、その大きな目で俺を見つめ、ふわりと、この状況で焦る俺の意図など関係ないかのように柔らかく微笑んだ。
何を考えている?この状況で彼は何を感じる?
いいや・・・・考えなければならない、ここから出る方法を!

「琥珀、この家は前から・・・その、出入り口が消えたりするのかい?」
「そんな・・・覚えてないけど、でも・・・そんな事『有り得ない』でしょ?少なくとも俺の常識では有り得ない。」
「そうだよな、でもなんで・・・。」
「此処を出てからでいいじゃない、ね?」
「そうなんだが・・・。」
「あ・・・・。」

常識では有り得ない、そうだ、しかし、現に『有り得ない事が起こっている』場合はどうするべきだ?落ち着け、落ち着け!
深呼吸をして左側にいる彼を見ると、琥珀はふわりと笑い、途端に眉を寄せ、悲しそうに視線を逸らす。
彼の視線の先には、大きな枯れ木・・・・枯れ木には何かがぶれるように映っている。
桜の木、すでに散り始めた花を枝ごと集める少年。
くしゃくしゃの髪を花びらだらけにして、一枝、また一枝・・・両手に持ちきれない程の
サクラ桜さくら・・・・。

『・・・・ちゃーん、僕も、僕ものぼる・・・』
『危ないから駄目だよ』
『だいじょうぶ・・・が・・・・・だも・・・』
『・・・・め、なら・・・が』

「琥珀、あ、あれは・・・?」
「!え?あ、ああ・・・橋に行くんだよね、うん」
「いや、その前に・・・今の風景は・・・・?」
「あの木?・・・あれは桜の木、あの木に、昔のぼりたがってたなあって、その度に叱られて・・・」
「どこに?」
「え?今そこに・・・・ない・・・ね」

琥珀が指差す先には、ただ雑草の生い茂った空間があるのみだった。切り株すら傍目には見えない。
何度も瞬きをしても、残層すら現れることは無かった。
残像は無いが、俺は確かに見た。
後ろ姿の子供と、桜の枝を折る少年を・・・・。
幻覚だと言い聞かせるために頭を2・3度振り、何でも良いから琥珀と会話しようと思った。一人では駄目だ、一人ではこんな空間耐えられるわけは無い!

「変な場所だ・・・っと、すまん。」
「え?」
「一応琥珀の実家だしな。」
「気にしなくて良いよ、俺も・・・変だと思うから。」
「だがな、変で済んで欲しくないんだ・・・。」

ふと気づくと琥珀の目には光が戻っている。幻覚を見た直後、俺が声をかけて意識を呼び覚ます時が一番正常に近いらしい。ゆっくり、そのままゆっくり彼の意識は凶器の側へ向かっているようで、とてつもなく不安になる。
幻覚を見て、何故平気でいられる?

「あ・・・。」
「畜生!俺たちをここから出さない気か!」

ぐしゃぐしゃに頭をかき毟り、力を入れすぎた指先は白く血の気が無い。
橋も、それに続くはずの裏門も見事に消えていた。


「どうして・・・?」

こつこつ

力なく壁をたたく琥珀にも理由は判らないようだ。判らないが『消えている』のだから仕方が無い。橋と其処に続くはずの裏口は真っ白な漆喰で塗りつくされていた。
腕を伸ばしても高い高い塀には届かず、周りを見渡しても登れる木も無い、ロープも無い・・・・。
すぐそばに、夕焼けで真っ赤に染まった空が見えているのに、閉じ込められてしまったのだ。

「畜生!なんでだよ!」
「ごめん・・・。」
「あ?」
「ごめん、俺一人で来るはずだったのに・・・理人まで・・・。」
「ああ、違う、俺が来るって言ったんだよ、琥珀は悪くない、俺こそ、悪い、取り乱した。」
「ううん・・・ねえ、懐中電灯だけ持ってる?」
「ああ、一応な・・・よし、玄関に行って見るか?最悪一晩過ごせそうな部屋があればいいんだ。」
「うん、理人・・・。」
「あ?」

ごめんね
口の形でそう伝えると、琥珀は横に並んで玄関まで歩き出した。一歩進む毎に着々と日は落ちいっそう霧は濃くなる。玄関へ着く前に先ほど通った庭とは反対の部分、壁が近くにあるのでたいした隙間は無さそうだが、その部分に近づき、漆喰の壁にゆっくり右手を着き、右目だけでその隙間を伺う。

「何も無いね、向こうが見えるだけ」

琥珀がほっと息を吐いたのを確認して、俺もゆっくりその隙間を覗く。壁と壁の間は50cm前後しかなく、大人は横にならねば通れないほどの狭さ、こんな広い土地で中途半端な構造だ、庭の方は十分に余裕があるというのに・・・。
子供なら通れそうなその隙間には、人も動物もなんの気配もしない。

「そうだな・・・・?」
「ん?誰かいる!!理人!あれ!」
「女の子?」

先ほどまで確かに気配も、陰も無かった場所に、透き通る程白い肌の少女が、隙間で小さな小さな鞠をついている。市松人形のような黒髪のおかっぱ頭、目が痛くなるほど鮮やかな緑色の着物・・・
狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い
暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い
狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い
暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い
狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い
暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い
そんな隙間で何も気に留めずに、少女は歌を口ずさみ、俺達に背を向けたまま鞠つきをしている。
『てんてんてんてん、金の鞠、銀の鞠、どれをあげよか
 てんてんてんてん、わたしゃそれより他のが欲しい
 てんてんてんてん、何の鞠がよかろうか
 てんてんてんてん、夜光の鞠が欲しい
 てんてんてんてん、夜光のはやれん
 てんてんてんてんてんてんてん、じゃあ、お前の鞠をおくれ・・・・』
「っひ!!!」
『きゃはははははははははははは』

不気味な歌を振り向いた少女の右目は、暗い色をしていた。いや、瞳があるべき場所がぽっかり開いていたのだ、そこから蛆がはみ出し、もう片方の目には鮮やかな緋色が乗っている。
血まみれの左目・・・・空洞の右目

「な、んんああ!」
『頂戴、その鞠おくれ・・・。』
「ひ、よ、よるな!」

少女の手の中にある『鞠』は真っ黒・・・鞠に何か『長いもの』が尾を引いているが、顔の真前まで近寄られた琥珀は取り乱し、乱暴に両手を振ることしかできない。やがて少女の左手が琥珀の顔に到達っし、その指先がずるり、とまるで顔にねじ込むように沈む。

「こら!」
『きゃはははははははは!ねえ、頂戴、お前の綺麗な綺麗な琥珀色の鞠を頂戴!』
「い、いやだ!」
「琥珀、こっちだ!」

触ることもできない少女を何度ぶっても同じことだ、埒の明かないことにようやく気づいた俺は、琥珀の体を無理やり玄関まで引き、その中に押し入れる。少女も続くが強引に玄関の引き戸を閉めると、その追撃はぴたりと止まった。
しかし、『声』はまだ聞こえる。
微かだが、脳に響き、耳鳴りを起こさせる。

『駄目よ、鞠遊びはお外でしなきゃいけないのよ。』

耳を両手でふさぐが、襲われかかった琥珀には俺以上の恐怖があるようだ。
すすり泣き、必死に眼も耳もふさぐ。

「や、やだ!やだやだやだやだ」
「琥珀、大丈夫だ、もうこない、外に出なきゃ大丈夫だ!」
「やだ・・・・。」
「大丈夫だから!」
「ほんとう?」
「ああ・・・・。」
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:25

琥珀楼

昔書いた和風ホラー(?)小説です。
なにぶんつたなくお恥ずかしい。

琥珀楼
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:23 | 小説:長編

ブログ作成

まずは作成してみました。
[PR]
by doitou | 2005-11-20 20:08 | 日記


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧